好きな音楽を聞いている時に想像する動くイメージを、商業的に作られるプロモーションビデオを超える絵画という永続的な形式に閉じ込め、その絵によって曲を聴いた時に私が感じた高揚感を見る人と共有したいと思い、制作を続けている。その高揚感とは、頭の中のイメージに没頭し現実世界から隔離されるような感覚であり、音楽は私にとって、その感覚を呼び起こす装置のようなものである。そして、絵がその感覚を見る人に共有させる装置として機能することを目標とする。 


 制作のプロセスは、まず曲から浮かぶ動的イメージを、人形やマケットなどを使った実際の動画にすることから始める。そしてその動画のコマから気になったものを取りだして描き出し、この絵と映像の二つを比較しながら、更により描くイメージに近い作品を描き、又それでも飽き足らないときは映像を撮り直すということを繰り返す。この繰り返しにより、元の映像をなぞっただけの「曲を聴いて描いた絵」を超えられると考えているのだ。


 技法面では、絵画独自の表現を模索し、モニターではなく絵画として自立させることで、映像により再現された画像を超えることを、二つのポイントに特化し試みている。
 一つ目は、描く際に生まれる絵具の飛び散りや垂れなど、映像では起こりえない現象で、効果的と思えるものを積極的に作品に取り込むことである。
絵の具をこすり落とした後に出来る小さな斑点は、液晶画面のムラやノイズを絵画的に表現する試みであり、モニターに写っているのではなく、画像とキャンバスの表面が一体化した〈絵画〉であることを伝えることにも繋がる。
又、描く過程で出来た絵の下に出来る絵の具の垂れは、その絵のカラーサンプルの素材であるとも言える。絵の具の垂れを残すことは、画像の中に手作業の跡の生々しさが見えるにも関わらず、あたかもそれらの素材が読み変えられて画像が一人でに立ち上がったかのような不思議な印象を与えるのである。
 二つ目のポイントは、自分以外の二つの視点〈登場人物の視点〉と〈登場人物とカメラの視点を見下ろすような客観的な視点〉の存在を絵の中に入れ込むことで、一枚の絵の中に複数の時間の層がある違和感、時間の奥行きや広がりを感じさせることである。
映像では、カメラワークや、分割された画面に違う場面を見せることでそれらの視点を表現することができるが、映像とは違う形で絵の中に複数の視点を入れ込む試みとして、一つの画面の中に小さな枠のフレームを作り、描き進める。そのフレームの中を部分として仕上げた後、部分を隠し全体を描くことで、〈片方を描いている時は、もう片方を見れない〉という関係が目に見える形になる。その関係を、映像における〈一つの視点が表されている時、もう一つの視点は表せない〉ことに当てはめることで、複数の視点が一つの画面に存在することを逆説的に表すことが出来るのではないかと考えるのだ。

 作品にするプロセスの中で、マケット、映像、絵とメディアを超える度に再発見、再構築されるイメージは、描く前に頭の中で想像しただけのものとは異なったものとなり、「曲を聴いて描いた絵」を超えたといえる。そしてそれらの絵が連作として提示されることで更に広がりを増し、私の個人的な空想を元に生まれた作品が見る人それぞれの空想を掻き立て現実から隔離される、私にとっての音楽のような装置として機能してほしい 。

2016 吉田桃子

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